kihiro日記

漫画の奮闘&日常ブログ

転機

・・この前の続きですが、東京にあった専門学校は、全てが私の中で新鮮でやる気を起こさせてくれました。一応、漫画やイラスト等を専攻してたので、気の合う仲間と仲良くなり、交流が深まりました。あの頃は全て純粋に受け止めれた時期ですね。でも、作品に対してはプライドが高く言われる事が嫌で、妙に強がってた気がします。この年になって思いますが・・、あの頃は、本当に楽しかったです。戻れるものならもう一度戻りたいですね・・。

 

・・しかし、2年とは早いもので、気付けば就活・・。

 

あっと言う間に専門学校は卒業に・・。学校で仲の良かった、漫画家志望やイラストレーター志望の仲間は、皆それぞれの人生を歩んで行きました。中にはプロになった方も数人いらっしゃいますね。今はどうされてるかは分かりませんが・・。

 

そんな時、私はと言うと・・、某有名ゲーム機の参入メーカーに就職が決定し、CGグラフィッカーとして制作に追われていました。

その当時、21歳と若かった私は、制作側と、やる側のギャップにかなりのダメージを受けてしまい、未熟の極みだった私はその環境に順応できず、1年ほどでその会社を辞めてしまいました。今思えば、辞めずに残ってれば、その方向を極めてたのでしょうね。

 

・・それから、バイトをしながらイラストを描き、出版社に持ち込みをする日々が続きます。中には、電話でアポを取るも、取り合ってもらえず、作品を見てもらえない出版社もありました。・・どの出版社も口を揃えて言った言葉は・・「作家の知名度がねぇ~」でした。まぁ、売れるためには人気の作家さんを使うのは言うまでもなく、辛い日々が続きます。・・・そんな時、チャンスは突然到来しました。

 

持ち込みをした際、良いといってくれる出版社があり、カットなら載せても良いといってくれる方がいらしゃいまして、それが、プロのイラストレーターとしてのデビュー作になります。

ただ、1つ問題があり 雑誌のカットのギャラが非常に安く、それだけでは食べて行けず、バイトを掛け持ちする日々・・。そんな中、出版社から連絡が・・!?

何と・・雑誌が廃盤になると担当者さんから伝えられました。今では考えられる事ですが、あの当時は目を疑いました。それが、雑誌界で起こる廃盤劇の前兆だった事は後から分かりましたが・・・。

 

・・その担当者さんから、後日TELがあり、「漫画を描いてみないか?」っと、突然言われました。と・・言うのも、イラストと漫画では漫画の方がページが多く、その分原稿料が高いと言う内容でした。1枚のギャラは新人では、ほぼ同一らしく・・どうやらお金に困っていたのを知っていた担当者さんの、最後のアドバイスだったのでしょうね。

それからですね・・・、マトモに描いた事のない漫画を描き始めたのは・・。

川嶋 きひろの漫画奮闘劇はそこから始まりましたね・・。